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「障害児の親になる」という葛藤ときょうだい児の気持ち・前編

障害は不幸ではない。
障害は個性である。

この言葉に、一片の嘘いつわりなく「YES」と答えられますか?
家族が何かしらの障害を抱えることになった時、ただの一度も感情が揺れ動くことはないと言い切れますか?

私には無理でした。
今になって「不幸ではない」と言えますが、実際に三女がどう感じるのかはわかりません。
そして「個性である」という表現にはいまだに違和感があります。

三女は、左心低形成症候群(HLHS)という生まれつきの心臓病です。
心疾患が発覚したのは妊娠9ヶ月、出産のわずか半年前のことでした。

 

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障害に対する風潮と現実

平成25年6月に障害者差別解消法が制定され、平成28年4月1日から施行されました。

>>>障害を理由とする差別の解消の推進 - 内閣府

 

「障害」と一括りに言っても、内容は多岐に渡ります。
今回はそこを掘り下げるつもりはありません。

世の中は「差別してはいけない」とあからさまな態度を示してきます。
差別的な発言をすれば叩かれる、許容するのが当たり前だと言ってきます。

それでいて、障害者差別はなくなることがありません。
まだまだ生きづらいのが現状です。

 

心疾患の発覚と恐怖

心疾患が疑われた日から、胎児心エコーを受けるまでには数日ありました。
担当医の言葉を思い返しながら、私たちはパソコンにかじりついて、それをキーワードにたくさん調べました。

心房が1つしかない・右側が大きく見える・弁の動きがおかしい

 

出てくるのは重度の心臓病の数々です。

心室症、その中で一番ヒットしたのが「左心低形成症候群」でした。
診断確定は出産後でしたが、心疾患があることはわかりました。

疾患の症状、疾患児を持つ家族のこと、時間が許す限り調べ続けました。
聞いたこともない疾患、難しい説明。 知れば知るほどに怖くなりますが、知らなければ不安に飲み込まれてしまいそうでもっと怖くなります。
恐怖心は途切れることなく続きます。

ここには、当時の気持ちを残してあります。
たくさん苦しんで、悩んで、泣いて、必死に向き合った記録です。

勘違いしないでいただきたいのは、決してかわいそうな人アピールではないということ。
ただ、「そういう人もいるんだ」と知ってほしいのです。

感じたままに声を上げて泣いてもいい、絶対に泣くものかと堪えてもいい。
ただ自分の気持ちに嘘をつかずにしっかりと向き合って、ひとつひとつ進んでいけばいいんです。
(元夫のことは、当時のまま「夫」としています)

 

障害を知って受け入れるまで・前編

2015.07.16 9ヶ月妊婦健診

おチビさん(胎児ネーム)に心疾患の疑いがあり、大きな病院にかかることに。
担当医が不在のため、来週にならないと予約が取れない。
何かあったとして、今日・明日でどうにかなるわけではない。

心疾患は1/100の確率、決して低くはない。
年齢的なリスクはわからないけど、流産と同じで不可抗力なんだろうってわかる。
それでもずっと考えてる。

無事に産まれてこられますように。
この世で生きていけますように。
子どもたちを悲しませるようなことになりませんように。
開胸するような治療になりませんように。
苦しい治療になりませんように。
助けてあげられますように。
他の病気を合併していませんように。

今は変わらず生活していくしかないのだけれど、ただ怖くて何もできないことがつらい。
こんなに元気なのにな。

油断すると罪悪感がもさもさわいてくる……誰に謝りたいのかわからないけれど。

 

**

 

厳しい見方をしてるから、取り越し苦労かもしれない。
何ともなくて、また次(の健診で)会えたらこんないいことはないから。
ちゃんと見てもらってきて。

先生そう言ってたから、できるだけそこに近い状態でありますように。
そう願うだけ、生きる力を信じるしかない。

目に見えないから不安、でも目に見えないからピンと来ない。  

 

2015.07.20 総合病院にて胎児心エコー

重度の心臓病。
「何らかの心疾患を必ず持って産まれてくる」という検査結果。

NICUのある病院でなければ出産できない。
そのまま入院治療、手術、NICUを出たら24時間付き添い。
退院までどのくらいかかるのかもわからない。

3度ほどの手術、普通の子と同じレベルで運動などはできない。
その他合併症・染色体異常がある確率も高く、あれば誕生死も十分にありうる。

かなり厳しいものになると言われた。

先生の前ではできるだけ泣くのは我慢したけど、家族の顔を見たら無理だった。
みんなでたくさんたくさん泣いた。

産後のために買い揃えたもの、お下がりや使わずに終わるのもやっぱり悲しい。
思い描いていた新生活は1つも叶わないまま、まったく違う生活を想定して準備をしていく。

助からないと決まったわけではないけれど、壮絶すぎてまだ受け止めきれない。
変わってしまうものが多すぎて、子どもたちのことを考えたら流産した時よりもつらい。  

 

2015.07.21① 命の選択

「もっと早くにわかっていたら、どうしていただろう」 ゆず姉と話した。

命に関わる病気があった時、事情があって育てられない時、21週までならお腹の赤ちゃんとお別れしてもいいって決まりがある。
もしその時期に今の病気がわかっていたら? ゆず姉は自分の考えを教えてくれた。

お腹の中で元気に動いてたし、元気だってずっと病院で言われてたから。
周りの赤ちゃんみたいに、元気に産まれてきてくれるって信じてた。
とっても楽しみにしてたのに……元気に産まれてこれないなんて、顔見たらお別れなんて悲しくてイヤだよ。
産まれてきたら死んで欲しくない。
でもこんなつらいことになるのがもっと早くにわかってたら、わからない。
イヤだけど、産まれてきてほしいけど。
産まれてきても、赤ちゃんが痛くてつらい思いをするってわかってたら、お別れするって決めたかもしれない。
お母ちゃんならどうする?

 

凄いなって思った。
私たちは+将来的な負担とか、もちろんもっともっと考えることは多いけれど。
基本的なところはきっと一緒。

重度の疾患となれば、綺麗事や使命感だけでは当然生きていけない。
助かって成長してからも、精神的な疾患を抱える人も少なくなかったり。
他の合併症などによっては、一生親が見ていかなければならない。

凄くつらいけど。
あまりにも負担が大きくて、今の生活が壊れてしまうから。
お別れすることを選ばないといけなかったかもしれないね。

そう答えた。

ここまできたら「産む」の一択。
どこまでリスクを下げられるかしかできることはなくて、あとは本人の生命力と先生の力、私たちはひたすら祈るだけ。

そうやって子どもたちに話しながら、本当に助かることがこの子にとっていいのだろうか?
そう頭の片隅で考えてしまう。
それがとにかく自分本位なようで罪悪感があるけれど、背負う覚悟がまだできない。

おチビができないであろうこと。
私たちが今まで普通にできていて、できなくなってしまうこと。
そういうことに目が行きがちになってしまう。

手術の画像、治療中の子どもの姿、そこに自分の子どもが入っていくのだと思ったら、辛くないはずはなくて。
ここまでのリスクを想定して、やっと子どもを望んでいい。
そう思っていた以前の自分を酷く恥じる。

結局は想像でしかなかった。

今回の妊娠・出産は、子どもたちにとって大きな学びになると思ってた。
実際になると思う。
けれど命の尊さ以上に、恐怖や不安の方が大きくなってしまった。

そしてまた「身内に先天性疾患があった」というリスクも背負わせる。
私は私の勝手なエゴで、子どもたちの将来に大きな傷をつけてしまったのかもしれない。
9歳と7歳に背負わせるのは酷。
乗り越えてくれると信じるしかないのかな?  

 

2015.07.21② 苦しい気持ちを吐き出す

悲しい時には我慢しないで泣かないと「頑張ろう!」って気持ちになれないから。
全部出さないとダメなんだよ。

 

子どもたちにそう話した夫。
自分はなかなか泣けないくせに、男の人って切ない。

この3年間、知らず知らず変わっていたみたい。
私も、夫も、子どもたちも、そして父や母も。
無駄に自分を責めずに済んでるのもそう。

「お母ちゃんは悪くない」
「申し訳なくないからね」
「あなたが謝る必要はないよ」

そう言ってくれる家族のおかげ。

できることならしたくない、しなくていい経験を続けてすることに「神様はいないの?」と思う部分と。
道内には数少ない、治療できる病院が自宅からさほど遠くないところにあって。 元の産科としっかり業務提携されていたこと。
助成もあって想像よりは負担が少ないこと 何より産前にわかったこと。

そういう救いの手があることが次々わかるうちに「神様はいるのかも」と感じる部分と。
何とも言えないけど。

ひとりじゃないし、勝手にひとりにもならない。
カッコ悪くてもたくさん泣くし、情けなくても助けてもらって頼って生きていく。

この3年間で起こったことは、全部ここに繋がるのかなって思った。
話を聞いてくれるだけでいい。 「頑張れ!」って言ってくれたら嬉しい、「頑張ろうね!」はもっと嬉しい。
子どもたちの姿を見た時に「元気?」って声かけてくれるのも助かる。

助けられたとしても長い戦い、助けられなかったとしたら受けるダメージは絶対に大きい。
どちらになっても、私たちはたくさんしんどい思いをしたり、どこかで傷つきながら進んでいく。
助けて欲しい、支えて欲しい。

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